島津斉彬が隣国肥後との合戦に敗れて討ち死にし、混迷を深める島津の跡目を継いだのは“4姉弟”で最も出来が悪いと評判の愚弟、タカモリであった。
タカモリは国主になるや、あらゆる政(まつりごと)を投げ捨て、城下の色町を梯子にしては見目良い遊女
たちを抱いてまわるという放蕩三昧を繰り広げる。
薩摩の国人たちはそんなタカモリを「当主の器にあらず」と断じて、おのおのが独立を宣言。薩摩は泥沼の内戦状態に突入することとなった。
そんななか、タカモリは国主となってからわずか3ヵ月あまりで“遊女1000人斬り”を達成したと発表する。
その並外れた阿呆ぶりと桁外れの性欲から、薩摩の人々は彼を“性豪どん”と呼んだ――。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-12-15 02:58:24
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